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蛙藤のつれづれがき

蛙藤は「あとう」と読ませたい。本、ゲーム、アナログゲーム、勉強、適当に適度につれづれと。

<<やるべき/やりたい/できる>こと>

 

今、周囲の状況が結構な荒波であることも相まって、自分の生き方に関する決断を迫られている。

 

 

そりゃ霞を食って税金も納めずに生きていければそれが楽ちんなんだけれど、もしそうだったとしても、欲があるのが人間というもので、大体の欲はお金で買えるから、じゃあまずはお金が欲しいということになる。

 

「今の日本は息を吸うのにもお金がかかる」とは、どの本で見た発言だっただろうか。

 

不特定の人物と話すのがすっかり嫌になってしまって、多分やらなくてはいけない状況になればそつなくこなせるのだれど(ちょっとだけ自信はある)、できることとやりたいことは違うのだなあと嘆息はする。

 

 

 

本やネットの海に潜ってみると、やりたいこととできることが違う場合、「やりたいことをするべき」、「できることをするべき」、両方の意見が散見される。

 

どっちがいいのだろう?

 

www.ikedahayato.com

 

やりたいこと、できること、実際やることの範囲を被らせるようにしていくことが良い、という記事。

 

 

www.b-cafe.net

「やるべきこと=今の環境で自分の果たすべき役割」
「やりたいこと=理屈ではなく感情的に自分が望む事」
「できること=いまの自分の経験や能力から実行可能なこと」

 

また、自分が望むことと、社会や他者が望むことがイコールではない場合もある。

 

 

最近のブラック企業うんぬんは、

 

「君にはやりたいことはあるかい?ないよね?

 そりゃそうだ、君にできることなんてないんだから。

 でもね、やるべきことはここにたくさんあるよ!」

 

って囁き続ける悪魔なんだと思う。

その囁きに負ける気持ちが分かる。

「やるべきこと(やらなければいけないこと)がたくさんある」

と言われることは、「君を必要としているよ」と言われているように感じるから。

本当は「君(という名の労働力)を(曲がりなりにも)必要としているよ」なんだけれど。

 

 

世界は善意でできていると思いたい。

 

けれど、脳の萎縮によって暴言・暴行をする人はいるし、

www.j-cast.com

 

言質をとられまいと必死になった上であわよくば貶めてやろうという人もいるし、

toyokeizai.net

 

こういう記事を見るたびに疲れてしまう。

 

 

じゃあネットをしなければいいのでは?と考えても、そうもいかない事情(仕事とかね)があったりする。

 

究極的には、生きることにインターネットが必要ということはまだないんだけれども、生きるためにお金を稼ごうとすると大体必要になってくるのが今の社会。

 

 

 

ちょっと海で泳ぐのに疲れたので、こんな記事を書いてしまいました。

いや、実際は海を眺めていた、それだけなんだけれど。

 

 

4月の初めは雨になるそうです。